みなさん、お久しぶりです。
寺社・歴史・仏像・旅行大好きな monobank スタッフ、わっしーです。
前回、登山靴を購入したところで終わった備忘録。2022年6月25日-26日の日程で比叡山ナイトウォーク本番を終えたので、記憶が鮮明なうちに書き残したいと思います。
比叡山と最澄
【日本仏教の母山】とも称される比叡山延暦寺。色んな宗祖が延暦寺で勉強・修行し、自身の宗派を始めた。浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、曹洞宗の道元、臨済宗の栄西、日蓮宗の日蓮・・・名だたる僧ばかりである。日本仏教の聖地なのだ。
ただ、10年くらい前まで、延暦寺に対してそこまで良いイメージがなかった。大河ドラマの見過ぎが原因である。延暦寺に限ったことではないが、人々を導く存在のはずの僧侶が、金や権力にがめつく、武力行使も厭わない人間として描かれることがあり、何となくその権化が延暦寺なのだ(私の主観)。延暦寺の僧兵は有名(弁慶も延暦寺で修行)だし、気に食わないことがあれば強訴しまくるし、天皇や将軍の子息が座主を務めていたこともあったし、信長含む当時の統治者たちもそりゃめんどくさかっただろうなと思う。仏教というか宗教は現代まで腐敗の繰り返しなのだが、それが嫌で最澄はお山に籠ったのに…と切なくなる。
そんな私が延暦寺を訪れようと思い、イメージが変わったのは、完全に漫画の影響だ。
それぞれ官僧と官僚という、当時のエリートコースを歩んでいた最澄と空海。2人とも突如として、自らの強い意志でそのエリートコースを外れるのだが、最澄はなぜ比叡山に籠ったのか、空海はなぜ大学を辞めて仏教へ進んだのか、互いに認め合いながらも空海はなぜ最澄と決別したのか、、、一部創作部分はあるものの、時代考証もしっかり入り、歴史に齟齬がないように、書物には残らない歴史の隙間をドラマチックに埋めた超ド級の作品。何より、みんな大好き「宿命のライバル」ものである。この二人が同時代に生まれ、同じ仏教という道に進み、同じ遣唐使団で入唐し、帰国後に交流を深めたという歴史は、日本史上で最大の奇跡だと、私は割と本気で思っている。
この作品の最澄は、その名の通り、【最も澄む】ことを自分に課している。もはや呪いなのではないかと思うほど、無色透明であろうとし続ける。ただ一方で、彼自身は自分のことを【極愚・極狂・最低最下の最澄です】と書に残すほど自己否定するし、仏教の基本的世界観と同じで、釈迦がいないこの世界には苦しみしかないとも思っている超絶ネガティブ人間なのだ。そんな穢れまくった救いようのない世界でも、全ての人を救うという無茶な理想を掲げるのだが、その理想は人を惹きつけもするし、時に傷つける。矛盾を抱えまくっているような最澄にとても惹かれた。(空海と最澄の対比は、その名前だけでなく、書にもよく表れている。ぜひ、真筆を見てほしい。)
比叡山ナイトウォーク
かなり前置きが長くなってしまった。そんなこんなで最澄が好きになり、度々比叡山と滋賀県を訪れるようになった。比叡山がある滋賀県には、最澄ゆかりの地も多いし、古刹・仏像も多く、見どころいっぱいなのだ。今回は初比叡山の友人も一緒なのであれこれ回りたかったが、如何せん、ナイトウォークの行程が結構なツラさ&己らの体力の衰えを考え、可能な限り無理をしない方法で、比叡山に向かうことにした。
ナイトウォークを主催している延暦寺会館は、比叡山内にある唯一の宿泊施設【宿坊】だ。JR大津京駅まで送迎バスが出ているので、今回はそれを利用した。京都駅から大津京駅までは、在来線で10分程度。送迎バスに乗って、20分くらい山を登っていく。(くねくね道が多いので、酔いやすい人は酔い止めがあった方が良いかも)
宿に荷物を預け、17時の開講式まで散策した。明日は疲れてゆっくり見て回れないであろうエリア、西塔と横川を回った。友人も私もなぜか苔に惹かれる性分で、緑真っ盛りな苔に大興奮である。青紅葉もまぶしい。
横川には、おみくじ発祥の地である【四季講堂】がある。ここはカリスマ僧侶だった元三大師良源の住居跡と伝えられ、別名【元三大師堂】とも呼ばれている。元三大師が疫病を鎮めるために禅定に入った時、鏡には鬼の姿が映り、その姿を弟子に描かせたものが、最強の魔除けとして名高い【角大師護符】である。ここではそれを買い求めることができ、2022年の運気は八方塞がりだと言う同僚に買って帰った。玄関に貼ってもらい、八方のうち一方だけでもこじ開くことを祈る。
17:00~ 開講式
いよいよ、事前説明も含めた開講式。延暦寺会館の広間に今回の参加者60名弱が集合。4月5月6月と各1回ずつ行われているが、今回の6月が最も多いそうだ。先導する僧侶及び補助スタッフの言うことを必ず聞くこと、無理をしないことといった基本的な諸注意はもちろんだが、【ハイキングではなく、行であることを心得るように】という言葉が重かった。翌日は深夜2時出発、20km7時間の修行のため、早々に夕食を取る。大好きな精進料理だ。翌朝6時の朝食休憩まで間食一切なしということで不安になり、汁一滴残さずに完食。美味しかった。そしてお風呂に入り、20時には就寝。
2:00~ いざ、行者の道へ
15分前の集合時間に間に合わなければ、その時点でアウト。置いて行かれてしまう。その緊張からか熟睡できずに1時には起床し、日焼け止めと眉毛だけで顔面準備は完了。あとは足裏が疲れやすいため、足裏テーピングをして、靴を教えてもらった通りに履いて山登り準備が完了。荷物はできるだけ軽くと言われたので、経本/水/タオル/日焼け止め/常備薬のみにした。
東塔/西塔エリアをさくさくと
まずは延暦寺の中心である根本中堂へ。全員整列して読経。すぐさま西塔へ移動し、浄土院の前でも読経。釈迦堂の前でも読経。ここまではこれまでも歩いたこともある道だし、20分くらいなので余裕綽々である。いつもと違うのは時間帯。車や人の往来がないため、静寂が広がり、虫や鳥の声がいつもより聞こえる。街灯がほぼなく、自分と前の人の懐中電灯が頼りだ。少しトイレ休憩をして、今まで徒歩で行ったことのない横川へ。
横川エリア
ここからがいよいよ本番である。西塔から横川までは、2km弱、90分程度の道のりだ。それなりに整備されている道もあるが、アップダウンを繰り返し、何より歩くテンポが速い。メトロノーム100くらいのテンポだ。歩行中は不動明王の真言を唱えなければならないのだが、遅れないように必死で、もうひたすら無心で歩き続けた。
周りの景色を楽しむ余裕もなく、ひたすら足元の明かりを見て歩き続けるしかないし、周囲のテンポに合わせなければいけないこともあり、大阪で歩いていたら見知らぬおじさんに遅いと注意されるくらい普段のろまな私も何とかメトロノーム100で歩き続けることができた。汗はかくが、日が昇っていないため、少しひんやりしており、気持ちよさもあった。午前4時頃、横川中堂に到着し、そこでも整列&読経して、トイレ休憩した。主催側からスポーツドリンクの補給があった。
日吉大社に向けて下山
横川での休憩時、先導の僧侶から「ここから2時間弱は途中で引き戻せない、車両も入れない道です。自分の体と相談し、厳しい人はここで中断してください」との言葉があり、5名ほどがリタイアされていた。友人と私は「自分が思っていたより元気」と続行を決意。
ここからは基本は下り坂で、徐々に明るくなったこともあり、メトロノーム105くらいのテンポになった。あまり疲れも感じておらず、少し景色を見る余裕も出てきた。ただ、話す人はほとんどいない。みな、頭の中で不動明王の真言を唱えているのだろうか。(私はすっかり忘れていた)
ここから日吉大社の本宮まで下るのだが、体感では傾斜45度くらい急峻、しかも砂利や落ち葉で滑りやすい坂道で常にへっぴり腰だった。写真を撮る余裕ゼロ。20分くらいで一気に下り切ったのだが、膝がガクブル笑いまくるのだ。滑って数メートル転がっている人もいた。この下り坂を歩いている時、登山靴を履いておいて良かったと心底思った。足裏のグリップや足首固定の安心感が抜群。
昔は奥宮に山王祭で使用する神輿を収納しており、神輿を担いでこの坂を下っていたんだとか。僧兵も神輿を担いで下り、強訴しまくっていた。いやいや草鞋で、、この坂を、、巨大な神輿担いで、、と先人たちの信仰心(というか執念深さ)と足腰の強さに驚いた。ちなみに、日吉大社の神輿が全国の神輿の起源とされており、山王祭りは平安時代の桓武帝の頃から続いている。
日吉大社で小休憩後、滋賀院門跡へ移動。平坦なアスファルトがなんと歩きやすいことか。サクサク歩けるが、膝はガクブルしている。6時前に到着し、ようやっと朝ごはんだ。その前にここでも整列&読経。ご飯が楽しみなのと、少し長めの休憩があるため、読経しながらも心は煩悩であふれている。修業とは何ぞや。
7:00~ 地獄の山登り
小一時間の休憩中にストレッチもしてリフレッシュ。これから延暦寺会館まで、2時間弱の山登りになる。ここでもう一度、 「ここから2時間弱、ゴールの延暦寺会館までは途中で引き戻せません。結構な登りが続きます。厳しい人はここで中断してください。」とのお言葉が。参加者から、僧侶やスタッフにどれくらいの坂道なのか等質問が出ていたが、「質問するということは、不安があるということ。少しでも不安がある人は中断してください。」と厳しめのトーン。10名弱がリタイアした。元々山登り経験がある友人と、ご飯&休憩で回復した(気になっていた)私には、リタイアする選択肢は微塵もなかった。だがこの30分後、この回峰行が荒行であり、回峰地獄と言われるわけを思い知るのである。
朝ご飯前はサクサク進めていた登り道で、足が途端に重くなる。どんどん遅れて、最後尾になってしまった。牛にも失礼なほどの牛歩の歩み。メトロノーム40くらいだ。最後尾には必ず補助スタッフがおり、黙々と私のペースに合わせて歩いてくれる。途中で「追い付こうとしなくて大丈夫です。自分と向き合い、自分のペースで歩くのが大切です。」と声をかけてくれた。
滋賀門跡にある自販機で水を追加で買っていたのだが、これがなかったら本当に危なかったかもしれない。ゼリー状の経口補水液を飲もうとするのだが、吸い込む力が無いのだ。体に熱がこもって頻繁に水を飲むようになった。もう真言なんて頭の片隅にもない。友人曰く、木々の間から琵琶湖が望めたらしいが、私には景色を見る余裕なんて最高潮にない状態だった。
先頭から20分弱遅れて、9時過ぎに延暦寺会館に到着した。先にゴールしていた友人が会館前で待ってくれていて、その時の写真を撮ってくれているのだが、お見せできないほどのむくみっぷりと疲れっぷりだ。会館前ではお茶がふるまわれており、お水を飲み切っていたためがぶ飲み。最後に参加記念品をもらった。
参加者は大浴場での入浴OKなので、汗をしっかり流して新しい服に着替えてさっぱり。湯船でマッサージしまくった甲斐はなく、むくみは消えなかった。
少し部屋でのんびりしてからチェックアウト。友人は根本中堂を見に行った。私は休み足りず、会館ロビーの椅子でグダっていた。根本中堂を見終わった友人と合流して、坂本ケーブルカーで下山。日本一長いケーブルで、大正時代の駅舎もかわいらしい。麓の坂本(日吉大社や滋賀門跡があるエリア)までは10分少々。歩いて2時間の道のりがあっという間である。途中で見える琵琶湖もきれいだ。やっぱりいい景色は、座りながらゆったりと見るもんだ。
着いてから、お昼ご飯。坂本で有名な【本家 鶴喜そば】へ行った。延暦寺御用達、300年の歴史があるお蕎麦屋さんだ。ちなみに延暦寺山内にも鶴喜そばがあるが、そちらは分家で機械打ちらしい。人気店なので予想通りの行列だが、20分くらいの待ち時間で中に入れた。
だがしかし、何だかぼんやりと頭が痛い&ムカムカし始めて、結局2-3口だけしか食べられなかった。本当にごめんなさい。。。 注文した時にはめっちゃお腹すいていたのに。。。
どうやら、入浴で湯船につかってしまったのが失敗だったようだ。水シャワーもしっかり浴びたのだが、体の熱が取り切れず、更に寝不足も相まって軽い熱中症を起こしてしまったのだ。お店を出た後、涼しい場所を求めて観光案内所に行き、事情を説明して休憩させてもらうことにした。椅子を並べ、脇に冷たいペットボトルを挟み、友人の膝枕で15分くらい仮眠を取ったら、とてもすっきりした。ただ、坂本を観光する余力もないので、早めに新大阪駅に行くことにした。
電車でも座ってがっつり休んだら、新大阪駅に着く頃にはお腹がすいてきた。お昼の分も取り戻すべく、新幹線改札内にあるたこ焼き屋さんで、たこ焼きと明石焼きをぺろりとたいらげた。何ならもう一皿いけた気がするし、隣のビフカツサンドも食べたかった。
比叡山ナイトウォークを終えて
今回体験した道のりは、本物の回峰行の半分以下である。修行僧はこの倍以上の道のりを足掛け約7年かけて計1,000日行い、更にその後に堂入り(9日間飲まず、食わず、眠らず、横にならずで真言を10万回唱える)をして晴れて満行するのだが、【極狂】としか言いようがない。宗教って怖いなとも思う(そういう思想性には興味深々だが)。
私自身は疲れすぎて達成感を感じたのかさえも分からない。登り切った、歩き切ったという事実がそこにあるだけ。ただ、滋賀門跡までの行程は、体力的にも精神的にもまだ余裕があって楽しかった。私に向いているのは、春秋のアップダウンの少ないゆるいハイキングなのかも。また、夏本格到来の前に初めての熱中症も経験し、涼しさ&水分補給&睡眠の大切さを実感。それらを知れた、とても良い修行だった。
既に夏山シーズン到来中。登山される皆さんは、くれぐれも熱中症対策を万全に、そして無理は絶対にしないで楽しんで欲しい。
私は1週間以上経った今も、未だにむくみが取れていない(気がするし、むくみだと信じたい)。
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